乾季から春先にかけて、ハノイの高層ビルや街並みはしばしば白っぽい霞に包まれます。この視界不良には湿度や霧といった気象条件のほか、風の弱さや逆転層といった大気の拡散を妨げる要因が絡んでいます。しかし、その根本的な一因は、微小粒子状物質(PM2.5)をはじめとする大気汚染物質の慢性的な滞留にほかならない。
ハノイ市が2025年12月に開催した会議では、大気汚染に明確な改善傾向は見られず、特に11月から翌年4月にかけて汚染状態が長期化する傾向にあることが報告されました。肉眼では捉えられない極小の微粒子であるこれらは呼吸によって肺の奥深くまで入り込み、同国内の大都市圏では環境基準や世界保健機関(WHO)の推奨値をたびたび上回っています。
本記事では、複雑に絡み合う発生源や気象的背景を整理し、次世代への影響、そして今現地で講じられている実践的な対策の全体像を紐解きます。
目次
ハノイの空を霞ませる発生源と気象的背景
ハノイの大気環境は、単一の要因ではなく、複数の発生源と複雑な気象条件が重なり合って形作られています。
1.増え続ける交通と排気ガス
日常的に利用される自動車やバイクは、大気汚染の主要な発生源の一つです。
2026年に公表されたハノイ市による調査では、PM2.5の主な発生源として交通(25%)、建設・粉じん(20%)、屋外焼却(12%)、二次生成粒子(27%)などが挙げられています。これを受け、市は公共交通の利用促進や環境負荷の低い移動手段への移行を進めています。
2.建設・産業活動と屋外での焼却
急速な都市開発も、大気環境に影響を及ぼす要因の一つです。建設工事や道路から発生する粉じんに加え、工業活動や屋外での焼却など、さまざまな発生源があります。
また、大気汚染はハノイ市内だけで完結するものではありません。周辺地域からの汚染物質の流入も指摘されており、都市部で発生する排出だけを見るのではなく、広い地域で発生源を捉える必要があります。
3.冬から春先に汚染物質がたまりやすい気象条件
ハノイでは、晩秋から春先にかけて大気汚染が目立ちやすくなります。この時期には風が弱くなることがあり、地表付近の空気が上空へ移動しにくくなる逆転層などの気象条件が発生すると、汚染物質が拡散しにくくなる場合があります。
そのため、大気汚染を考える際には、どこから汚染物質が排出されているのかだけでなく、気象条件によってそれらがどのように拡散・滞留するのかを見ることも重要です。
子どもはなぜ大気汚染の影響を受けやすいのか

大気汚染はすべての人の健康に関係しますが、特に子どもは影響を受けやすいグループです。
国際機関の指摘によると、子どもは肺や脳などの器官や免疫システムが発達段階にあります。また、大人より呼吸が速く、体重あたりの空気吸入量が多いため、有害な微粒子への曝露が大きくなりやすいとされています。 長期的な曝露はぜんそくや肺炎などの呼吸器疾患を引き起こし、子どもの健やかな成長や発達にも影を落とします。そのため、排出量の抑制と並行して、汚染が高い日に子どもが曝露される時間を減らす実務的なアプローチが求められます。
ハノイで進む大気汚染対策
ハノイでは、大気汚染への対応として、排出源への対策だけでなく、大気質に関する情報提供や、子どもや若者が環境問題について考える取り組みも進められています。

1.交通由来の大気汚染を抑制する低排出ゾーンの導入
ハノイ市決定第3273/QĐ-UBND号に基づき、同市は2026年7月1日から、環状1号線内の一部地域を対象に「低排出ゾーン(LEZ/エルイーゼット)」の試行が始まりました。
第1段階は2026年7月1日から12月31日までで、ホアンキエム区の旧市街とホアンキエム湖周辺を対象としています。対象範囲は119の通りと5つの路地です。
この段階では、政策の周知や市民への情報提供、個人の移動手段の転換に向けた案内などが中心となっています。また、アプリを通じて旅客・配送サービスを提供するガソリン二輪車や、一定の年式以前に製造されたガソリン二輪車について、対象区域内での利用を控えるよう促す取り組みも盛り込まれています。
今後は対象地域の拡大や高排出車両の管理強化などが段階的に進められる計画です。こうした交通対策は、都市全体の排出削減だけでなく、子どもが日常的に汚染された空気にさらされる機会を減らすことにもつながります。
2.大気質情報を活用した日々の健康管理と曝露の抑制
排出源への対策には時間がかかるため、現在の大気の状態を把握し、汚染が高い日に曝露を減らすことも健康を守るうえで重要です。
ハノイでは大気質に関する情報が公開されており、ベトナム大気質指数(VN_AQI)などを通じて大気の状態を確認できます。
2025年12月には、ハノイ市の保健当局が、子ども、高齢者、妊婦、慢性疾患のある人などを大気汚染の影響を受けやすいグループとして、空気の状態を確認し、状況に応じて屋外活動などを調整するよう呼びかけました。
こうした情報は、家庭や学校がその日の大気の状態を確認し、子どもの活動を判断する際の材料になります。長期的な排出削減と、日常生活の中で曝露を減らす取り組みは、それぞれ異なる役割を持っています。
3.子どもを対象とした大気汚染啓発キャンペーンの展開
2025年、UNICEF Viet Namは「Khong Khi Them Trong – Cuoc Song Them Mau(きれいな空気、色鮮やかな暮らし)」キャンペーンを開始しました。ベトナム保健省の疾病予防部門や環境行政機関などと連携し、大気汚染が子どもの健康や生活に与える影響について理解を広げる取り組みです。
2025年12月には、ハノイのカットリン駅で展示会が開催されました。ハノイとホーチミン市の子どもや若者が撮影した約800点の写真が展示され、オンライン企画には大気環境の改善に向けた約200件のアイデアが寄せられました。
この取り組みでは、子どもや若者が大気汚染について自分たちの視点から考え、写真やアイデアを通じて発信する機会が設けられています。子どもを単に保護される側として捉えるのではなく、身近な環境について考え、社会に伝える参加者として位置づけている点が特徴です。
大気汚染対策から見える今後の課題

低排出ゾーン、大気質情報、そしてキャンペーンを通じた次世代の取り組みは、それぞれ異なる役割を持つ重要なピースです。
大気汚染は単一の要因ではなく、交通・建設・工業・焼却などの発生源と、気象条件や広域的影響が複雑に絡み合っています。そのため、今後の対策では、排出量削減だけでなく観測データの活用や市民の行動変容を促す環境づくりを一体的に進めることが求められます。
まとめ
ハノイの大気環境を守る取り組みは、単なる環境保全の枠組みを超え、私たちがどのような都市に暮らし、どのような未来のまちを築いていくのかという根本的な問いを投げかけています。経済活動の活力と市民生活の健康とのバランスをいかに取りながら持続可能な都市構造へ転換していくか。その舵取りが今まさに試されています。
個別の施策の効果を検証し続けることはもちろん、それ以上に重要なのは、未来を担う子どもたちが安心して健やかに呼吸し、成長できる環境を社会全体でどう守り育てていくかというビジョン共有です。日々の小さな実践とデータに基づいた検証の積み重ねこそが、これからのハノイのより良い都市づくりを形作っていく確かな礎となるでしょう。